講座・研修

【レポート】いわてグローカルカレッジ 第3回「日独交流150周年とこれからの日本とドイツ」

主催: (公財)岩手県国際交流協会

2011年10月16日(日)  会場: アイーナ5階 501会議室

■概要

 □ タイトル: いわてグローカルカレッジ
  第3回「日独交流150周年とこれからの日本とドイツ」
 □ 日時: 2011年10月16日(日)14:00~16:00
 □ 場所: アイーナ5階 501会議室
 □ 講師: ウヴェ リヒタ氏(岩手県立大学共通教育センター教授)


■レポート

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 岩手県立大学共通教育センターのウヴェ リヒタ教授に「日独交流150周年とこれからの日本とドイツ」と題して講義をしていただきました。
 講義の要旨は次のとおりです。

 私はハイデルベルク大学と北京大学で歴史を学び、論文と著書は歴史に関するものなので歴史家といっても良いと考えている。著書の「ヒットラーの長き影」は、20世紀のドイツにおいて終戦後の西ドイツがナチス時代のできごとをどう処理しようとしたかを独自の視点で論じたもの。
 今日は、ドイツと日本の150年の歴史の中の関係だけではなく、自分個人のドイツと日本の交流の20年の経験と、これから岩手とドイツの関係についてどのようなことが考えられるか話したい。


日本とドイツの共通点

 日本とドイツの歴史を13世紀まで遡ると、日本もドイツも同じくモンゴルの脅威にさらされていた。日本の場合は、1274年と1281年の神風によって蒙古軍の侵略をから免れた。ヨーロッパでは、1227年に死去したチンギスカーンの後継者候補であるバトゥカーンが、軍を西に送り、ハンガリー、ポーランドまで侵略していた。ポーランドの街で1241年、ポーランド、ドイツの軍とバトゥカーンの部隊が対峙した。ポーランドとドイツの軍はモンゴル軍の騎馬の数を少なく見誤ったためモンゴル軍の攻撃により全滅してしまい、ヨーロッパに残る武力はなかった。しかし、北京ではチンギスカーンの後継者が死去したことによりモンゴル軍は撤退し、再度の西ヨーロッパへの侵略はなかった。
 日本は風により、ヨーロッパでは死による神の助けという共通点があると考える。


近代の日本とドイツの関係

 明治維新により日本では、プロイセンの法律や医学、軍事について学んだ。軍事については当初、フランスから学んでいたが1871年のプロイセンとフランスの戦争でフランスが敗れたため、プロイセンから軍事についても学ぶべきと日本は考えるようになった。  ビスマルクから政治を、ヘーゲルから哲学を学んだ。日本の天皇制には、伝統的な日本の思想だけではなく、強くヘーゲルの哲学が影響していると考える。
 帝国主義であったドイツは植民地を得たのがイギリス、フランスより遅く、1915年に東アジア、太平洋の一部を植民地化した。中国の青島、今の山東省に、1898年に海軍の基地を築いた。第一次世界大戦が没発して、1914年に青島は日本軍に占領され、多くのドイツ兵は日本軍の捕虜になった。捕虜になったドイツ兵は九州の大分や鳴門に拘留されたが、捕虜というより客のように扱われた。そのため、多くの捕虜たちは日本に残り、日本で会社を設立しており、現在でも東京などにドイツの法律事務所などが残っている。


岩手でのドイツとの交流

 私は1982年から岩手医科大学に勤めることになり、1989年から雫石に住むようになった。ドイツとの交流を雫石国際交流協会から望まれ、人口4万人程度のネッカーズルムとの交流が始まった。1990年代中ごろから、毎年冬に10人ぐらいの雫石在住の高校生が派遣されて、ネッカーズルムの高校で授業に参加したりホームスティや研修に参加し、交流を図っている。5・6月にはネッカーズルムからホームスティ先の家族が雫石を訪れて交流することが15年ほど続けられてきた。
 今年も3月15日にドイツに高校生が出発する予定だったが、3月11日の地震により、東北自動車道も東北新幹線も使えなくなってしまい危ぶまれたが、子どもたちの強い希望により、バスを借り上げて秋田、山形を経由して成田空港に向かった。しかし、ルフトハンザ航空では、急遽、成田発を名古屋発に変えてしまったのでドイツには行けなかった。
 1990年代中ごろからは、ラインラント・プファルツ州との交流が始まり、元岩手医科大学教授の石渡先生と共に岩手ラインラント交流協会を中心にして毎年10人ほどの学生を受け入れていた。県内で日本語を集中的に学んだあと、県内企業での研修をするなどしていたが年々来日するドイツからの学生の数が少なくなっていたのでやめることも考えた。しかし、震災の2週間後にラインラント・プファルツ州政府から、州内学校で1500万円もの義援金の申し出があり、このことを切っ掛けに続けることとなった。
 11月にもラインラント・プファルツ州の大学関係者が来日して、プログラムの今後について話し合う予定となっている。


ドイツからの震災支援

 ネッカーズルムでは高校から小学校までのすべての学校で岩手の学校を支援するために学生や生徒一人ひとりが1ユーロの支援をする運動が始まった。また、スポーツを通じて義援金を集め、雫石町国際交流協会の仲立ちで山田町の学校を支援することになった。
 自分は岩手に住むドイツ人で一番古くなったので、ドイツ大使館では岩手を支援したいというドイツからの話を私に伝えてくる。
 ドイツの新聞に震災について寄稿したところ、児童保護協会やチョコレート会社のネスレ、独日友好協会からの物資や義援金などの支援が寄せられている。
 独日友好協会では、この数年において奈良市や東京で毎年ドイツと日本の若者を集めてユースサミットを開いている。今年4月に、「来年9月に東北で開催することが決まった」とノイヤル副会長から連絡があった。
 構想としては、来年の9月にシンポジウムやユースサミットを開催し、ドイツから50人、県内外から150人程度の若者の参加により、識者による様々なテーマの講義から、東北の立て直しについて考えるものとしたい。
 このような取り組みを通じて、沿岸の街とドイツの街を姉妹都市としてつなぎ、それによってドイツの観光客を増やす切っ掛けとしたい。
 この他にも、ドイツの空手協会やミュンヘンの独日友好協会からの義援金も岩手の被災地へ届けられている。


ドイツ人の気持ち

 なぜ、ドイツ人はこの震災へ多くの支援をしているのかというと、長年の独日の交流の歴史が背景にある。また、途上国における震災と違い、日本のような技術的に進んだ国でも震災でこんなにも甚大な被害がでるということを目の当たりにし、ドイツでも起こり得ることと、ショックを受けたことが背景にあると考える。
 福島の原発事故により、ドイツでは緑の党が与党となりドイツは脱原発を決めた。脱原発に反対する人はいる。ドイツも日本も原発のレベルは世界的に高いのに、東ヨーロッパの古い原発が稼働していることへの矛盾が反対する人の意見にはある。
 しかし、ドイツの政府と経済界は、今、原発をやめ、原発以外の技術開発を進めれば先進となり、ビックビジネスになると考えている。5年後、10年後に向けて、日本もどっち付かずの考えではなく決断をしても良いのではないか。



■報告日:2011年10月21日